[概説]
前4000年紀頃、中石器時代から新石器時代に移行、前4000年紀末頃にはオビ・ウラル文化は最盛期(ポルデンカ期。年表には未反映)を迎える。この文化を原サモイェードに比定する意見もある。ウラル以西とも共通する櫛目文土器文化が長く続き、西方との交流がうかがわれる遺物も発見されている。その後金属器文化や牧畜文化が伝播、前2000年紀後半にはアンドロノヴォ文化の影響が及び、その北方群は原ウゴルに比定される。その後のエロフ文化、イルメン文化にはカラスク文化の影響が見られる。アトルィム青銅器文化は原サモイェードに比定される。

1000年紀後半にはイルティシ川中流域にはポッチェヴァシ文化が栄え、中国資料(唐書)に言う「駁馬国」との関係が想起される。西シベリア一帯には「サビル」「シビル」等、駁(馬)を意味する言葉が人名や地名となって広く分布しており、かつて強盛を誇った勢力=駁馬国=ポッチェヴァシ文化という等式が成立するとすればたいへん興味深いことになる。なぜならば「シベリア」の語源はここにあるとされており、それがポッチェヴァシ文化という実体に由来を求めるられることになるからである。この領域は、後にはシャイバーン朝の礎を作ったアブルハイルハーンが即位をした地を含み、また紀元前には草原のアンドロノヴォ文化の一端を担った地でもある。ロシアのシベリア進出を最後まで阻んだ勢力がこの地に成立したシベリア汗国であることを考え合わせると、広大な西シベリアの中でこのイルティシ川中流域が他の世界と互角に渡り合う歴史を持った中心地ではないかと思われる。

[参考資料・関連情報]
「Эпоха бронзы лесной полосы СССР(青銅器時代のソ連森林地帯)」(1987)
「Финно−угры и балты в эпоху средневековья(中世のフィン・ウゴル語族とバルト語族)」(1987)
「Prehistory of Western Siberia」V.N. Chernetsov著(1969) H.N.Michael訳(1974)
「民族の世界史4 中央ユーラシアの世界」森雅夫、岡田英弘編 山川出版社 (1990)
「チベット語史料中に現れる北方民族」森安孝夫 (1977)
「白鳥庫吉全集4」白鳥庫吉

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